2017年4月23日日曜日

奈可中次下

[日本語の動詞活用形の起源 総目次へ]

このブログでは、上代日本語について、動詞を中心に、素人の手慰みで研究しているわけだが、資料として、万葉集、殊に上代東国歌謡を参照することが多い。
基本的には、語例・用例を拾ってくるために見ているわけなので、歌の意味自体は興味の範疇外であり、参照するのも、主に万葉仮名表記の原文で、現代語訳とか解説とかはあまり見ない。
なのだが、そうは言っても、語の同定のためには、歌の解釈もせざるを得ないので、一応歌の意味は考える。考えてわからないときは、解説等に頼ったりもする。

以前書いたのだが、小学館の日本国語大辞典の参照のため、Japan Knowledge のサイトに加入していて、そこで小学館の日本古典文学全集(以下、全集)を参照できるので、その万葉集の巻は、ちょこちょこ活用させてもらっている。

そうして訳・解説を読んでみれば、ああなるほどと思うところもよくある。
例えば、「寄そる」という動詞がちょいちょい出てくるのだが、いまいち意味がぴんと来ていなかった。

  • 14/3512「一嶺ろに 言はるものから 青嶺ろに いさよふ雲の 寄そり妻はも」
この「寄そり妻」は、「噂だけの妻」という意味だということだ。
自動詞「寄り」は「恋人/夫婦になる」、他動詞「寄し」は、「(誰かを)恋人/夫婦にする」で、「寄し」を再自動詞化した「寄そり」は、「寄せられる」「(誰か/人の噂等)によって、恋人/夫婦であるということにされる」の意味なのである。
上記の 14/3512 は、「一つの峰だと(一緒に寝ていると)人の噂では言われるものの、青峰にいざよう雲のごとく、『青嶺ろ/吾を寝ろ。一緒に寝よう』というとためらう噂だけの妻は…」という掛詞ばりばりの歌なわけです。なーるほどですね。

とは言え、示されている解釈に納得できないなあと思うこともそれなりにあるわけで。
以下、上代東国歌謡の解釈について思うことをランダムに書き連ねる。




「はし」

  • 14/3408「新田山 嶺にはつかなな 我に寄そり はしなる子らし あやに愛しも」
    (尓比多夜麻 祢尓波都可奈那 和尓余曽利 波之奈流兒良師 安夜尓可奈思母)
  • 14/3490「梓弓 末は寄り寝む まさかこそ 人目を多み 汝をはしに置けれ」
    (安都左由美 須恵波余里祢牟 麻左可許曽 比等目乎於保美 奈乎波思尓於家礼)

「はし」って何だという話。

全集では、これらの「端」を、「中途半端なもの」「取るに足らないもの」の意味に解している。
  • 「寝ないまま、私と噂を立てられ、付き合うでもなく突き放すでもなく中途半端な娘が無性に愛しい」
  • 「今現在は、人目が多いので、お前を構ってやれない(取るに足らないもの扱いしている)」
みたいな意味としている。(* 全集での記載通りの訳文ではなく、訳文趣旨のざっくり要約)
  • 10/1868「かはづ鳴く 吉野の川の 滝の上の 馬酔木の花ぞ はしに置くなゆめ」
の「端に置く」は、「取るに足らないものとして粗略に扱う」の意味だと考えられるので、それと同様の用法だと解しているわけである。
だが、「中途半端な娘が愛しい」って、あまりにも複雑な人情の機微で、正直あまり理解できない。別の解釈はないだろうか。

この2首は、どちらも、「最終的には一緒に寝たいが、現状は寝ていない」という趣旨の歌である。
「端(はし)」は、家の中において、寝床のある奥の方じゃなくて、外に対して端近い場所という意味、「端に居る」とは「寝床に入っていない」という意味ではなかろうか。
  • 「新田山の「峰(ね)」――寝床に着かないでいて欲しい。私と夫婦になり、(寝床に入らず)「端」に居て私を待っている妻が、無性に愛しい」
  • 「梓弓の弓末が手前に寄っているように、後には寄り添って寝よう。今現在は人目が多いので、お前を(寝床に入らず)「端」で待たせたままにしているけれども」

この意味(「外に対して端近い場所」という意味)での「端」は上代では他に見ないというのが、この説の弱いところ。中古ではよく見ますけどね。
  • 源氏物語(須磨)「……御簾巻き上げて端に誘ひ聞こえ給へば……」
  • 枕草子(7)「上に候ふ御猫は……端に出でて臥したるに……」
上代東国の家屋構造がどんなのだったか知りませんが。。。

メキ、「馬」はメかマか

  • 14/3437「陸奥の 安達太良真弓 はじき置きて 反らしめきなば 弦はかめかも」
    (美知乃久能 安太多良末由美 波自伎於伎弖 西良思馬伎那婆 都良波可馬可毛)

全体的な歌意に影響ある話ではないが、「せらしめきなば」の語構成をどう考えるか。
反(せ)ら-しめ-来-な-ば、「反(そ)り」の東国訛り「せり」未然形+使役「しむ」連用形+「来」連用形+完了「ぬ」、つまり「反らせて来てしまったら」という解釈が通常のようだが、上代東国方言で「しむ」をあまり見ない。
反(せ)らし-めき-な-ば、他動詞「反(せ)らし」連用形+「罷(ま)かり」の東国訛り「罷(め)き」+完了「ぬ」、つまり「反らして出てきてしまったら」という解釈もありうるかと思う。

「陸奥の安達太良真弓を、射出したままにして、(弦をとりはずさず)反らして出てきてしまったら、弦をまた取り付けることが出来ようか、いや出来ない。覆水盆に帰らず。さんざん人をほっぽらかして今更のこのこやってきて、なんなのさ」という全体的な歌意は変わらないが。

「罷(め)き」は、20/4413「枕太刀 腰に取り佩き ま愛しき 背ろが罷(め)き来む(西呂我馬伎己無) 月の知らなく」に例がある。

「罷(め)き」でなく、「罷(ま)き」の方が、「罷(ま)かり」との対応がつけやすいのだが。。。
14/3437, 20/4413とも表記は「馬伎」。「馬」は麻韻 [ma] で、麻韻字は一般に甲類エ段の万葉仮名として使われる(家ケ、雅夏ゲ等)のが通例である。
一方で「可カ、麻マ、野ヤ」などア段の万葉仮名として使われることもあり、微妙。さらに「(う/む)ま」という訓読みがある。「馬」はメかマか。

  • 明らかにメ: 09/1695「常滑に(床奈馬尓)」、13/3236「すめ神に(須馬神尓)」
  • 明らかにマ: 14/3387等「駒(古馬)」、01/0057「引間野に(引馬野尓)」
  • ウマ: 11/2759「うましもの(馬下乃)」
  • 戯訓の類: 12/2991「いぶせくもあるか(馬聲蜂音石花蜘蛛荒鹿)」、13/3324「まそ鏡(喚犬追馬鏡)」等
    馬は「イー」と鳴き、馬を追うときは「ソ甲!」と言い、犬を呼ぶときは「マ!」と言ったらしい。
    14/3451「左奈都良の 岡に粟蒔き 愛しきが 駒は食ぐとも 我はそとも追じ(和波素登毛波自)」に、蒔いた粟を馬が食べちゃうけど、好きな人の馬だから「ソ!」と追っ払ったりしないという歌があるので、「そ甲」が馬追いの声であることが確認できる。
  • 東国語でメかマか迷う: 14/3437「反らしめきなば(西良思馬伎那婆)」、同「弦はかめかも(都良波可馬可毛)」、20/4413「背ろが罷(め)き来む(西呂我馬伎己無)」、14/3450「乎具佐勝ちめり(乎具佐可知馬利)」

マと読んでいるのは基本的にまさに「馬」の意味で使っているもの(地名の引馬野を含めて)、つまり訓であって、音仮名としてマと読んでいるのはなさそう。メが妥当ですかね。


のがなへ行けば

  • 14/3476「うべ子なは 我ぬに恋ふなも 立と月の のがなへ行けば 恋しかるなも」或本曰「ぬがなへ行けど 我ぬ行がのへば」
    (宇倍兒奈波 和奴尓故布奈毛 多刀都久能 努賀奈敝由家婆 故布思可流奈母 或本歌末句曰 奴我奈敝由家杼 和奴由賀乃敝波)

「のがなへ」は、「流らへ」の東国訛りとするのが一般的。「立と月の流なへ行けば」は、「新月を過ぎて日が立っていくので」みたいな意味に取る。
それでもいいかなとも思う。現在推量「らむ」が「なも」になるわけなので、「ながらへ」が「のがなへ」になったっていいじゃんと。
そうは思うのだが、「のがなへ」が「ながらへ」の訛りって、遠すぎるでしょ、、、という感想も沸いてくる。別の解釈はないだろうか。

四段他動詞「逃(の)ぎ」or「脱(の)ぎ」未然形+打消「なへ」、「逃すことなく」というのはどうだろうか。
下二段自動詞「逃(に)げ」、四段他動詞「逃(の)がし」、下二段自動詞「逃(の)がれ」があるわけなので、四段他動詞「のぎ」があってもよいではないか。「剥(は)ぎ」「剥げ」「剥がし」「剥がれ」パターンの自動詞他動詞派生。
「毎月毎月、逃すことなく月日が過ぎて行くので」という意味。
……どうですかね。あんまり自信ない。

もころ男のこととし言はば

  • 14/3486「愛し妹を 弓束並べ巻き もころ男の こととし言はば いやかたましに」
    (可奈思伊毛乎 由豆加奈倍麻伎 母許呂乎乃 許登等思伊波婆 伊夜可多麻斯尓)
全集には「愛しい妻を弓束に合わせて巻き(枕き/共寝をし)、恋敵のことだとあらば、なお一層堅く巻こう」という解釈が示されている。一人の恋人を男が争う歌だとするのだが、そうかあ?と思う。

14/3567「置きて行かば 妹はま愛し 持ちて行く 梓の弓の 弓束にもがも」等のように、防人に出兵する兵士たちによる、妻や母などを、持参する武具などに籠めて連れて行きたいという歌がいくつかある。これもその一つだと解釈するのが自然だろう。

「愛しい恋人を弓束と一緒に巻き籠めて連れて行き、戦友の話などをすれば、一層勝てるだろうに」みたいな。これだと「事と言ふ」の「と」が気持悪いか。「事を言ふ」なら分かるが。

と考えると、「もころ男如(の) 事跡(ことと)し言はば いや勝たましに」つまり「戦友に話すが如く、妻に戦果を話すことが出来たら、一層勝てるだろうに」と解釈したい。

「もころ男の」の「の」は、「~のごとく」の意味の比況の「の」。
01/0021「紫の にほへる妹を 憎くあらば 人妻故に 我れ恋ひめやも」等を参照。
"紫草のごとく美しく映えている彼女を"。

ここでは、「もころ男の 事跡し言はば」つまり「もころ男の如く事跡を言うなら」を、「もころ男について話すが如く、事跡について話すなら」という意味ではなく、「もころ男に事跡について話すが如く、妻に事跡について話すなら」という意味だと考える。

「事跡」は、19/4251「玉桙の 道に出で立ち 行く我れは 君が事跡を(公之事跡乎) 負ひてし行かむ」(大伴家持)に用例がある。ここでは見送りをしてくれた郡司の統治実績のことだが、防人兵士の「事跡」つまり実績を、戦果の意味だと解釈するのは変ではないと思われる。
19/4251 では「事跡」は訓表記されており、他に音表記されている例がないが、コトトと読むと考えられている。14/3486 ではコトトが全て乙類オ段(許登等)だが、「事コト」は乙類で問題なし。「跡アト」のトは甲乙が揺れている語で、乙類オ段の「事コト」と複合して一語になっている場合、乙類で表れるのは自然である。

ちまりゐて

  • 20/4372「足柄の み坂給はり 返り見ず 我れは越え行く 荒し夫も 立しやはばかる 不破の関 越えて我は行く 馬の爪 筑紫の崎に ちまりゐて 我れは斎はむ 諸々は 幸くと申す 帰り来までに」
    (阿志加良能 美佐可多麻波理 可閇理美須 阿例波久江由久 阿良志乎母 多志夜波婆可流 不破乃世伎 久江弖和波由久 牟麻能都米 都久志能佐伎尓 知麻利為弖 阿例波伊波々牟 母呂々々波 佐祁久等麻乎須 可閇利久麻弖尓)

「ちまりゐて」を「留(と)まり居て」の東国訛りと見るのが一般的。「上代中央語と東国語の別れ路」でも、そのベースで論を立てたが、本当にそうか。

「千余(ちま)り居て」または「千余り率て」というのはどうだろう。「筑紫の崎に千人以上の兵士がいるなかで、私は神助を祈ろう」または、「筑紫の崎において、千人以上の兵士を代表先導して、私は神助を祈ろう」。
肩書のない「倭文部可良麻呂」で、ただの一兵卒のようなので、さすがに「率て」はないですかね。

“自分は筑紫の崎に留まるが、そこからさらに任地へと向かう兵士たちの武運を祈り、筑紫で潔斎しよう” と言っているのか、“兵士たちが集結した筑紫の崎で、自分も含め皆の武運を祈り、潔斎しよう” と言っているのか。前者の方が適切な気もするが、一方で、前者だと前半の勇ましさとはちぐはぐな気も。どうだろうな。。。

「余(ま)り」は上代での用例は多分ないと思う。中古の例だが、
  • 続日本後紀(承和一二年正月乙卯)「七次の 御代に参会(まわ)へる 百余 十(ももちまり とを)の翁の 舞ひ奉る」
    (那々都義乃 美與爾萬和倍留 毛々知萬利 止遠乃於支奈能 萬飛多天萬川流)

「み坂」って何、というのもありますね。
  • 14/3371「足柄の み坂畏み(美佐可加思古美) 曇り夜の 我が下ばへを こち出つるかも」
  • 20/4424「色深く 背なが衣は 染めましを み坂給らば(美佐可多婆良婆) まさやかに見む」
畏まったり、賜ったりするものらしい。
全集によると、旅人の通過を妨害する手向けの神に、あらかじめ幣帛を捧げて通行の許しを得ること、だそうな。ふーん、なるほど。
「み坂畏み」は、手向けの神に対して恐惧するんですかね。通行理由も含めて申請してちゃんと通行許可を取らないと通してくれないんで、内緒の恋人の名前をばらしちゃったということでしょうか。

(2017.07.30 追記) 催馬楽『桜人』に「桜人 その船 留(ちぢ)め (左久良比止 曽乃不禰 知々女)」があり、中古には、「留(とど)め」の意味の「ちぢめ」という動詞が存在したらしい。
それを考えると、「ちまりゐて」も「留まり居て」と考えた方がいいですね。

あがこひ、コの甲乙

  • 20/4391「国々の 社の神に 幣奉り あがこひすなむ 妹が愛しさ」
    (久尓具尓乃 夜之呂乃加美尓 奴佐麻都理 阿加古比須奈牟 伊母賀加奈志作)

「あがこひ」を全集では「我が恋」(私への恋慕)と解しており、山口大学の万葉集検索システムのデータでは「贖乞ひ」(供え物をして神助を祈る)となっていて、両説あるらしい。
「阿加古比 agako1pi1」になっていて、「我が恋 agako1pi2」だとするとヒの甲乙異同。「贖乞ひ agako2pi1」だとするとコの甲乙異同。

東国歌謡において、イ段の甲乙は、14巻東歌では異同が全くないが、20巻防人歌では異同しまくっている。
コの甲乙も異同が散見されるので、まあ、どちらの可能性もあり。が、どうだろう…。

東国語ではエ段の甲乙は、東海地域を除きほぼ壊滅的。イ段は上記のとおり、比較的後期の20巻防人歌では異同しまくっている。
が、オ段は異同皆無とは言わないにせよほぼ甲乙が区別されている。

中央語において、オ段の中でもコは最後まで甲乙の区別が維持された字であり、それで異同が出ているというのは、ちょっと本当かなあという疑問がある。
以下にコ甲乙の異同例をリストアップして、検証して行きたい。

  • 14/3361「足柄の をてもこのもに さすわなの かなるましづみ ころ我れ紐解く(許呂安礼比毛等久)」
  • 14/3369「あしがりの 麻万の小菅の 菅枕 あぜか枕かさむ ころせ手枕(許呂勢多麻久良)」
  • 14/3521「烏とふ 大をそ鳥の まさでにも 来まさぬ君を ころくとぞ鳴く(許呂久等曽奈久)」
上記の「ころ」は「子ろ(妻、彼女)」と解釈するのが普通だと思うが、「子ろ」だと甲類のはずのところ、乙類「許」になっている。
本当に「子ろ」かは疑問の余地があると思う。特に「ころくとぞ鳴く」は「君(夫、彼)」が来るかどうかという話なので「子ろ」はおかしい。…所詮カラスの鳴き声なんだからなんでもいいじゃん、というのもあるが。

上記の「ころ」は、カ変命令形「来(こ)ろ」と解釈する手はあると思う。普通、カ変の命令形は「来(こ)」だが、中央でも「来よ」語形がないわけではないので、東国に「来ろ」があっても変ではない。
「来て!私はあなたに紐を解く」「来い!、そして、私の手枕に枕せよ」「『来い!→来る!』とカラス鳴く」のような。
「ころせ手枕」は、「臥(こ)ろせ(横になれ)」かも。「臥(こ)やし」は陰母音語幹なので、「聞かし」じゃなく「聞こし」になるみたいに尊敬スのついた語形が「臥(こ)よし」になってもおかしくないし、その東国語語形が「臥(こ)ろし」というのもなくはなかろう。
「ころく」は、「頃来(そのうちに来る)」かも。

なお、14/3361 の解釈については、「かなるましづみ」も参照されたい。

  • 14/3424「下つ毛野 美可母の山の こ楢如(の)す(許奈良能須) まぐはし子ろは 誰が笥か持たむ」
「こなら」が「小楢」だと語源解釈すれば甲類のはずだが乙類「許」。但し、その語源解釈が間違っているのかも。「木楢」?

  • 14/3506「新室の こどきに至れば(許騰伎尓伊多礼婆) はだすすき 穂に出し君が 見えぬこのころ」
「蚕時」だとすれば甲類のはずだが乙類「許」
「蚕を育てるシーズンになったので忙しくて会えない」のような解釈だが、この「蚕時」説は、誰が言い始めたんですかね。
その時はみんな「なるほどー」と思ったのかもしれませんが、よくよく考えるとおかしくないですか?
蚕を育てるシーズンになって忙しいのは女の方でしょうが、それで、「君(男)が見えぬ」というのは変でしょう。
じゃあなんなんだと言われるとわかりませんが。「新室の木解き(新居を造営するために、材木を運んできたのを荷解きする)」を、仮に提案しておきます。

  • 14/3394「さ衣の 小筑波嶺ろの 山の崎 忘ら来ばこそ(和須良許婆古曽) 汝を懸けなはめ」
係助詞「こそ」だと乙類のはずだが甲類「古」。さすがに、「許婆古」は「木箱」じゃないでしょうね。
これはちょっと、甲乙異同であるとしか言いようがない。

おもひどろ

  • 14/3419「伊香保せよ 奈可中次下 おもひどろ くまこそしつと 忘れせなふも」
    (伊可保世欲 奈可中次下 於毛比度路 久麻許曽之都等 和須礼西奈布母)


最後に、上代東国歌謡最大のミステリー!? 難読歌。
第2句の「奈可中次下」をどう訓じてよいかわからない上に、そのほかも難しい。
「くま」って何? 「熊」じゃないよね、「隈」? 「隈をする」ってどういうこと? 「こそ」の結びの已然形はどこ行った?

「おもひどろ」は、「思ひ出づる」の東国語訛りと想定することが多いようだが、私としてそれでは困る。管見の説では、下二段「出で」の連体形「出づる」の東国語形は「出どる」になってもよいが、「出づろ」とか「出どろ」とかになってはいけないのだ。そういう意味では、私にとって非常に気になる一首なのである。

というわけで、読解チャレンジしてみたいと思う。
私の試案は下記のとおり。

「伊香保背よ なかなか告ぎしも 面日照(ど)ろ 奠(くま)遣(こ)そしつと 忘れせなふも」
伊香保にいる夫より、(もう関係を諦めかけていたのに)なまじっかに知らせてきた。表面に日が照ってできる物陰(隈)――奠(くま)をお寄越しになったと。私を忘れてはいないようだ」

「面日照ろ」は、「表面に日が照れば、それと対照して隈(物陰)が出来る」という意味で「クマ(隈)」の枕詞と考える。

「伊香保背よ」の「よ」は(東国方言の甲乙にいかほど信を置くかという話はあるものの)「欲」でありヨ甲なので、「より」の意味の格助詞「よ」(「より/ゆり/よ/ゆ」シリーズのの一つ)であろうと思われる。「伊香保の夫よ!」の終助詞「よ」であればヨ乙のはずである。

  • 神武記「狭井川よ(佐韋賀波用) 雲立ち渡り 畝傍山 木の葉さやぎぬ 風吹かむとす」


「中途半端に、なまじっかに、中途半端なぐらいならいっそのこと」の意味の「なかなかに」はいくつか用例がある、

  • 17/3934「なかなかに(奈加奈可尓) 死なば安けむ 君が目を 見ず久ならば すべなかるべし」
が、「なかなか」は中古にならないと出てこない。どうですかね。

四段「告ぎ」は、下記に上代東国語における例あり。
  • 20/4365「押し照るや 難波の津ゆり 船装ひ 我れは漕ぎぬと 妹に告ぎこそ(伊母尓都岐許曽)」
終助詞(係助詞の文末用法)「も」は終止形接続(※)のはずで、「告ぎし」と連体形になっているのはあまりよろしくない。
  • (※) 実際、第5句「忘れせなふも」では終止形接続となっている。
「伊香保の夫よりなまじっかに知らせてきたのも、奠をお寄越しになったと(のことであった)」の意味で、終助詞ではなく普通の係助詞なのかも知れない。

「照(て)り」の東国訛りと思われる「照(と甲)り」は、一例ある。
  • 14/3561「金門田を 荒垣ま斎み 日が照(と)れば(比賀刀礼婆)  雨を待とのす 君をと待とも」
四段「照(と甲)り」の連体形であれば、「照(と甲)ろ甲」になっても、管見の説上、問題がない。

「奠(くま)」は、「クマシネ」の「クマ」。
  • 持統紀二年十一月 (寛文版訓)「是に奠(くま)奉(たてまつ)りて楯節(たてふし)の儛(まひ)奏(つかまつ)る」
  • 和名類聚抄「糈米 離騒経注云糈〈私呂反 久万之禰[クマシネ]〉精米所以享神也」
神様への捧げものとしての米の意味。伊香保にいる夫は、普段は妻をほったらかしにしていたのだけれど、祭りの時期になり、さすがに供米がなくて祭神が出来ないとまずいと思って、供米だけは送ってきたんでしょうか。

以前、陰母音語幹で乙類エ段で終わる名詞「米こめ」「苔こけ」「声こゑ」等は本来陽母音語幹で、*kumai, *kukai, *kuwai > *kuməe, *kukəe, *kuwəe になって、əe に u が逆行同化して kəməe(こ乙め乙), kəkəe(こ乙け乙), kəwəe > kəwe(こ乙ゑ) になったという説を書いたことがあります

「遣(こ)そしつ」は、下二段「遣(こ)せ」+尊敬ス+完了ツ。下二段「寝(ね)」+尊敬スは「なし」だが、陰母音語幹の「遣(こ)せ」+尊敬スは、「こさし」でなく「こそ乙し」になってよいはず。「聞き/聞こし」のような感じですね。

「寄越してくる」の意味の「遣(こ)せ」の例としては、
  • 07/1097「我が背子を こち巨勢山と(乞許世山登) 人は言へど 君も来まさず 山の名にあらし」
「遣(こ)せ」には今いち微妙な例しかないので合わせて「遣(おこ)せ」の例を示すと、
  • 19/4156「……我妹子が 形見がてらと 紅の 八しほに染めて おこせたる(於己勢多流) 衣の裾も 通りて濡れぬ」
「忘れせなふも」は、下二段「忘れ」転成名詞形+サ変「し」未然形+東国の打消助動詞「なふ」終止形+係助詞/終助詞「も」。東国語にて、20/4354「忘れせぬかも」など、「動詞の転成名詞形+サ変」のように、和語サ変動詞の形式になっているものが散見され、これもその一つと思われる。

「なかなかつぎしも」が字余りなのはちょっと嫌な感じ。上代東国歌謡に字余りは少ないが、無いわけでもない(14/3358或本曰「寝らくはしけらく」、14/3370「花つ妻なれや」) ので、まあよかろう。

なお、一応念のため、「中なか」「次つぎ」「下しも」の訓例があることの確認。
  • 09/1745「三栗の 那賀に向へる(中尓向有) 曝井の 絶えず通はむ そこに妻もが」
  • 13/3314「つぎねふ(次嶺經) 山背道を 人夫の 馬より行くに……」
  • 07/1191「妹が門 出入の川の 瀬を早み 我が馬つまづく 家思ふらしも(家思良下)」

東国歌謡では、発音を明確に記載する意図もあってか一字一音式に記載されていることが多く、「中なか」「次つぎ」「下しも」のような一字二音表記は珍しいが、「なかなかつぎしも」を見て「『中』『次』『下』が入っている言葉じゃん!おもしれー!」と思って「中次下」って書いちゃったんじゃなかろうか。

以上。
どんなもんでしょうか。

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[参考文献]
小島 憲之, 東野 治之, 木下 正俊 『新編日本古典文学全集(6) 萬葉集(1)』, 1994-04, 小学館 ISBN978-4096580066
小島 憲之, 東野 治之, 木下 正俊 『新編日本古典文学全集(7) 萬葉集(2)』, 1995-03, 小学館 ISBN978-4096580073
小島 憲之, 東野 治之, 木下 正俊 『新編日本古典文学全集(8) 萬葉集(3)』, 1995-11, 小学館 ISBN978-4096580080
吉村 誠 「万葉集検索」, 2017-02, http://ds26.cc.yamaguchi-u.ac.jp/~manyou/

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